V.結論

 1993年4月27日、金日成は、生前の最後に第2経済委員会を現地指導した。このとき、軍需生産状況を把握した金日成は、余りに気が立って、昼食も抜いたという。そういうことがあったのは、当時の北朝鮮全国の軍需工場は、10%計算で生産稼働していたからである。元に回復する道がない全般的軍需実態を把握した金日成は、次のように指示を与えた。

 「軍需工場をさらに少なくすることがあっても、弾工場だけは、万難を排して動かせ。一群は、条件打開のみ言わずに、いかなることをしてでも、弾生産原料を無条件保障してやらなければならない。努力が不足すれば、私が除隊軍人を要求する通りに送ってやる。弾工場を3部制で動かさなければならない。同務達が今、戦争準備に対して難しく考えているようだが、戦争準備とは、大したものではない。軍事分界線一帯と重要海岸地帯に坑道を建設し、その中にインゲン餅と弾をたくさん積んでおき、敵が空襲するときには、坑道で歌を歌いながら、休息を行い、上陸を行うときには、食事に入っている者は、全員出て、銃を使うようにすれば、いくらでも、共和国を守護することができる。インゲン餅と弾さえ多ければ、我々が勝つ。」

 90年代に入り、北朝鮮の戦争政策は、攻撃から防御に変わった。だが、これは、金日成、金正日の野望が変わったのではなく、北朝鮮の軍需経済が戦争に堪えられない程度に破壊されて弱まったためである。このことから、金正日は、対外恐喝用のミサイル開発及び試験発射を独裁維持の死活を賭けて、強行している。

 しかし、第2自然科学院と第2経済委員会の実態を余りに良く知っている本人は、確固に主張したことがある。それは、「テポドン−2」ミサイルが存在しないことである。このことから分析すれば、最近、北朝鮮が対米、対南外交においてああだこうだといって関係改善の医師を見せているのは、実際、そのためではなく、「テポドン−2」ミサイルを開発できる時間を得るためだということである。北朝鮮は、常にそのようにしてきた。そのため、朝鮮半島から真に戦争の脅威を防げば、北朝鮮が現在のように出れば出るほど、警戒心をさらに高めなければならない。北は、絶対にミサイル開発を放棄しない。

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最終更新日:2003/10/04

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